メインの内容へジャンプ 新しき村

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新しき村の歴史(平成)

1989年
(平成元年)

○48人。営農収入2億4,700万円。

○町道から村へ入る道に接した檜の山(現在椎茸の原木置き場に借りている。)1,623平方米を3,936万円で買う。村では将来とも現状でおきたい場所なので、坪8万というのは経済的には説明できないが、宅地開発をしようとする不動産屋の介入があってこういうことになった。その代わり美術館敷地其他檜山や梅林に借りている土地計6,040平方米将来は坪当たり2万と1万5千当たりで売買の確約をした。

○9月記念祭は前日に毛呂山町福祉会館主催の「石川静と仲間たちによる楽しい音楽の夕べ」が行われ、前日からの参加者も多く、際山開村50年に相応しい盛んな会になった。

○今年の村の経済は相当苦しい予想だったが、やや好転したので、埼玉の村の50年記念に「野井十画集」の出版をきめ、美術館外装、公会堂の外装と屋根のペンキ塗り替、増田荘の補修を実施、櫟の森から西坂戸団地まで200米ばかりを1米以下の巾でコンクリート舗装(70万円)を実施した。これは数年心がけてきたことだった。

○一般会計収入(前年繰り越しを除く。)2億4,400万余(内農産物2,700万余、内果樹九百万余り、椎茸1,100万余、酪農400万余、養鶏1億9,600万余、内所得4,700万、文化活動800万余、他)

主な農産物の収量水稲356俵2万1,360㎏、茶286㎏、梅1,900㎏、椎茸11,151㎏、牛乳33,200㎏、鶏卵1,440万個余、(1羽当たり298個)91万8,000㎏、1羽当たり19㎏強。

○10月25日、武者小路房子没(享年97)。

○12月20日付の朝日新聞で「開村半世紀 埼玉の『新しき村』大地に根ざす現代の理想郷 6時間労働 個人負担ゼロ」の記事が出て、入村希望者が続出、何人かの入村が実現、新村外会員も100人近く。

1990年
(平成2年)

○47人。営農収入2億7,727万円。

○水稲作は手不足のため一旦借用地約2町歩全部を地主に返したが、宍戸の入村、その他の事情で約1町歩を再度借り受け、3町歩の耕作になった。

○椎茸は原木値上がりと入手難はあったが、予定通り1万8,000本余りに新たに植菌した。販売の方は益々好評で順調であった。

○梅は摘果、収穫に集中的に人手が必要なため困難な状態になるが、栽植法の改善や、梅干用を増やすなどして対応をすすめている。

○陶芸の方は毎月のように愛好者の展覧会が計画され、製作の方が間に合わない程で、生活館などの展示に不自由する時間が多い。今年の埼玉県陶芸展(浦和の埼玉美術館)で泰山窯・兼次郎作品が特選(通産大臣賞)に選ばれた(入選は毎年)。

○養鶏は比較的好卵価で助かっているが、人手不足が深刻で、ついに自家育雛を全廃して大雛購入でゆくことにした。

○酪農は3頭搾乳から年末7頭搾乳になったが、これも担当者の休日をヘルパーに頼っている状態である。

○年表形式による「新しき村の七〇年」(写真16項、本文82項目)を出版。

○長く借用していた梅畑875㎡、東新鶏舎の隣にある檜山1,802㎡を買受け登記した。美術館敷地も買い受けの予約があったのだが地主の希望で借り受け条件を改めて借用を続けることになった。

○他に種々の事情で渡辺名義になっていた第2の丘育雛場の3筆(内1筆200㎡余は箕輪忠三夫妻購入)は財団の形で名義変更をし、他に幼稚園の敷地の一部を購入登記したので村の土地総面積は、69筆1,025アールになった。

○大分入村者が増えそうな状況で、とりこわしたままの「和風荘」あとにかなりの設備をした独身者用の住居(8帖4帖)2人分をつくり、古い家のトイレの改造(7戸分)をした。

○何年かは毎年1戸位ずつ、建て直しか大修理をして、村の建設時代の(今も本当は建設期だが)仮住宅は直していく計画だ。

○一般会計総収入(前期繰越を除く)2億6,730万余。内一般農作物2,754万余(内米374万余、椎茸1,190万余、果樹842万余、茶58万余、野菜315万余。)。酪農415万余り、養鶏2億2153万余(内所得5,717万余。)、陶器1,020万余。農作物収量水稲285表17,100㎏製茶278.5㎏、梅16,678㎏、し委託10,795㎏、牛乳33,104㎏、鶏卵1,456万6,440個(1羽当たり295個)、91万5,537,7㎏(1羽当たり18,5㎏。)。

○日向の村、杉山正雄逝去7年と房子さん1周忌を合わせてお二人を偲ぶ集いを持った。

1991年
(平成3年)

○43人。営農収入2億4,307万円。

○1月25日夜「けやき荘」火災(高橋ひさ子住)全焼、高橋はやけど入院したが、他への類焼は免れた。高橋は退院後飯川庵に住む。

○村の子供の学校は高等学校まで村で負担、囲碁貸費制にしていたが、それ以上の学校も200万円まで村負担とし、遡って実施。詳細はその係を作って協議してゆく。別に500万の貸費基金を作る。

○5月12日実篤106回誕生会、同日財団の役員改選を行う。

○梅栽培は村の経済の1支柱で、花も見事なものだが、どうしても一時に大勢の労力を必要とすることと、生産過剰状態で先行の見込みが暗いことで梅は自家用程度にすることに決まる。

○椎茸は原木値上げなどの難題を克服しながら好調に続けている。

○陶器は相変わらず好調を続け、良子が午後半日手伝うようになった。

○水稲は色々な試みを続けながら経営改善をやっている。来年度は新たに20アールを加え総面積3,5ヘクタールになる。

○今年度は卵価の好調に助けられ、いい成績を出しているが、養鶏1番の難題を抱えており、今後の1、2年で根本的な安定をはかる必要がある。

○一般会計総収入(前年繰越を除く。)2億7,500万余、内一般農作物2,565万余(内米101万余、野菜138万余)、酪農362万余、養鶏2万1,380万余(内所得6,407万余円)、陶器1072万余円。

○農作物収量、水稲272俵2斗(10アール)平均9俵強。1万6,250㎏、製茶216.5㎏、梅13,439㎏、椎茸1万2,962㎏、牛乳2万8,127㎏、鶏卵1263万7,937個(1羽当たり295個)、793,529,8㎏(1羽あり18.5㎏)

1992年
(平成4年)

○40人。営農収入1億8,329万円。

○12月、機関誌発行部数は1100、発送部数700、会費納入者500。

1993年
(平成5年)

○38人。営農収入1億4,492万円。

○養鶏は年間飼育羽数が半減、業界の生産過剰による低卵価のため必要収入が激減。村の生活費は繰り越し収入に頼る結果に。

1994年
(平成6年)

○38人。営農収入1億4,296万円。

○5月、新理事長に石川清明を選出。

○水稲、椎茸は好成績。美術館も年間6000人ほどの入場者があって、900万円余の積み立てができる。渡辺貫二、脳梗塞で半年入院。

1995年
(平成7年)

○33人。

○「新しき村の店」と名づけた売店がはじまる。

1996年
(平成8年)

○33人。

1997年
(平成9年)

○30人。営農収入9,395万円

○3月、はじめ、泰山窯の渡辺兼次郎が離村、茨城県笠間に移る。村の自活と安定発展の基礎になった養鶏に代わる仕事がなく、前途多難。

1998年
(平成10年)

○28人。

○営農収入8,876万円

1999年
(平成11年)

○27人。営農収入8,554万円。

○90アール余りの面積で4,500キロ余りの収穫量、うるち米が好成績で、10アール570キロ位の収量だった。

○パンは出来は良かったが、真夏の暑さが長続きしたため、今年の成績は数十万の落ち込みになった。しかしケーキ、パンの種類を増やしたり、畑作物の加工試みたりして工夫を心掛けているので、大体安定した成績は上げられそうだ。喜んで下さる声しか入らない訳だが、そういう方の声が多くなりつつあるのはありかたいことだと思っている。

○養鶏は赤卵を産む赤鶏が半分を越え、高卵価で販売が出来ている。白卵の卵価高を願っているが見通しは明るくない。環境問題も年々厳しくなっている。収入は5,698万円であった。

○椎茸の消費が年々下がり気味で、村内の売上も伸び悩んでいる。2年前から出荷先を広げて来たが、中国産の輸入などで底価格が続いている。原木の植菌本数は18,800本で例年より多い。収穫量を増やしていきたい。生椎茸重量は12,818㎏であった。

○畑は鈴木、渡辺と高齢になり男性係が望まれる。売野菜は河内がよくやっている。茶は収穫時に霜にやられ収穫は少なかった。

○一般事業会計収入 会費204万、文化活動58万、老齢年金・その他7,918万。合計8,181万円、生産事業会計収入8,554万

○一般事業会計支出800万、生産事業会計収入8,554万。

○特別会計土地収入1,015万、支出0。特別会計美術館収入444万前期繰越260万合計3,045万、支出1,389万。

○毛呂山町歴史民俗資料館で「東の村60年 武者小路実篤と新しき村」展開催。

○水稲作は、面積を大幅に減らす。

○パンは出来が良かったが、真夏の暑さが長続きしたため、数十万円の落入村。

○養鶏は赤卵を生む赤鶏が半分をこえている。

○椎茸の消費が年々下がり気味で、村内の売上が伸び悩んでいる。

2000年
(平成12年)

○23人。一般事業収入、会費206万円、文化活動51万円、年金その他1,132万円。

○水稲作は、村の田圃と借地16アール、計26アールへの作付となった。玄米料10,750キロだった。

○望郷のGPセンターが廃止となり白卵は高沢商店という所へ出荷することになった。廃止の原因は低卵価による赤字と相次ぐ養鶏農家の廃業とGPの施設の老朽化で建て直す資金もない事。養鶏状況はこれらのことで察しが付くと思うが、いつまで続けられるのか。

○椎茸は夏から秋にかけてその厳しい暑さがひびいて、収量が伸びなかった。消費が下り気味の今は1年を通して高収料を安定させる必要がある。今年も低価格に悩まされた。原木の植菌本数は18,000余本生椎茸精三町は10,700㎏。

○一般事業会計収入(単位千円)会費206万。文化活動518万。老齢年金・その他1,133万。合計1,390面。生産事業会計収入8,214万。

○一般事業会計支出1,874万円。生産事業会計支出5,803万。

○特別会計土地収入14万。特別会計美術館収入203万。前期繰越6,937万。合計714万。支出1,840万。

○営農収入8,214万円。一般事業会計支出1,874万円、生産事業会計支出580万円、特別会計美術館収入203万円。

○水稲作は、村の田と借地16アール合計226アール作付、玄米量1万750kg。底卵価による赤字と相次ぐ養鶏農家の療農により農協のGPセンター廃止となり、白卵は高決商店というところへ出荷。

○椎茸は、原木植菌本数1万8千本余、生椎茸生産量1万7千kg余。パンは土日祭日、村の売店だけで販売・売上532万円、支出75万円余。月で収支差456万円余。

○4月、等価交換の形でビル建設進行中だった東京支部会場新村堂が再開。

○9月、放火により旧幼稚園園舎が全焼。

2001年
(平成13年)

○25人。一般事業会計収入、会費154万円。○文化活動10万円、年金その他1,380万円。営農収入8,144万円。

○水稲作は、村の田圃と借地41アール、計251アールへの作付となった。収量は玄米料12,250キロ(204俵)だった。これからは有機農法への転換をしていかざるを得ない。

○相変わらず低卵価は続いていくものと思う。羽数が多い訳だが、全国的な羽数調整が出来れば解決できるのだろうが、出来ないことに疑問がある。今後養鶏を続けていくには、苦情が来ないような鶏糞処理の施設の充実も必要になって来る。

○此処数年、椎茸の低価格が普通になり、セーフガードも殆ど関係のない状態で今年も終わった。市場出荷せず数か所の売店に出しているが、消費は伸び悩んでいる面もある。原木の植菌本数、1万7,000余本、生椎茸生産重量、1万1千㎏。

○平成13年度、パン2工房の売り上げは512万7,210円で支出は71万1,815円、収支差額448万8,905円でした。私達がパンの仕事を続けるには、年をとり過ぎたようです。この2月でパン工房は閉店となります。

○一般事業会計収入(単位千円)会費154万、文化活動10万、老齢年金・その他138万、合計1,545万。生産事業会計収入8,144万。

○一般事業会計士支出1,534万。生産事業会計士支出9,506万。

○特別会計土地収入191万。特別会計美術館収入188万。前期繰越6,957万。合計7,145万。支出204万。

○5月12日、日向新しき村で武者小路実篤旧居の復元完成。オープニング参加ツアーに多数参加。

2002年
(平成14年)

○25人。営農収入5,642万円。

○水稲作は昨年同様に、村の田圃と借地41アール、計251アールへの作付けとなった。収量は玄米料10,150キロ(170俵)だった。農薬と化学肥料かを使わずに作る。草取りが追い付かなかった事、出穂からの猛暑、水管理等の影響で、品種によって品質が悪くなった。安全と品質を両立させる為、努力しなければならない。

○不況の中、赤卵が高値で売れて、小売りが伸びているのは心強い。白身の力強い盛り上がりと卵を床に落としても崩れない黄身(村のは赤い)の弾力性と味に自信があります。良い卵には管理と良いエサが必要不可欠ですが、エサのトウモロコシは人間食料用のナンバーワンものを使用し、天然ミネラルを多く含む貝化石を添付したりの最高のエサを使用している所に良い味の原因があるようです。来年も今年以上に売り上げ増しが期待できる。

○今年も夏の暑さで椎茸栽培にはむずかしい年だった。植菌した原木の菌の成長不足で、収量にも影響したようだ。夏の暑さをどう乗り越えるかが、今後の課題になって来た。毎年、植菌の人手不足に悩まされているが、今季はどうにか間に合った。

植菌本数、1万6,000余本、収量1万K余。古榾、新榾を合わせると、保有本数3万本位です。

○主な収入(単位千円)生産5,642万、美術館168万。会費137万。年金713万。家賃284万。東電高圧線線下補償300万。

○主な支出(単位千円)生産3,139万。美術館922万。雑誌354万。個人費1,183万。水道光熱費642万。医療174万。食糧259万。法定福利160万。保険255万。消耗130万。租税223万。

○2月17日、日向河原~石河内文学ロード開通。

○2月、パン工房が閉店。

2003年
(平成15年)

○25人。営農収入5,866万円。

○水稲作は昨年より38アール増やし、村の田圃と借地79アール、計289アールへの作付けとなった。収量は玄米料1万1,045キロ(184俵)だった。今年も化学肥料は育苗に使用したのみで、農薬は一切使わずに作った。

○低卵価の続く中、今年は、さらに平成6年以来の超低卵価で、身近でも廃業する養鶏場があります。村は市場悪化ウに多くは影響されない販売なので、前年より販売が伸びた。

○村の椎茸は周年栽培と言って1年中栽培していますが、端堺期の夏と冬の出来がその年の成績を決めることが多く、今年の冬は不出来で苦労したが、夏の冷夏は椎茸にとって助かった。出荷の多い暮も潤寮に収量が上がり、昨年並みの収量があった。去年から、新しい品種をいろいろ試み、何とか収量の髙上げを考えている。

○主な収入(単位千円)生産5,866万。美術館511万。会費168万。年金645万。家賃284万。東電高圧線線下補償300万。

○主な支出(単位千円)生産3,640万。美術館五十一万。雑誌262万。個人費1,349万。水道光熱費643万。医療115万。食糧297万。法定福利247万。保険54万。消耗169万。租税244万。

○3月、村内で「そば打ち教室」開催。

○8月、石川清明、韓国の「山上の村」に招かれ、講演。

○9月、新潟で「村外会員の集い」開催。

2004年
(平成16年)

○23人。営農収入5,844万円。

○水稲作は昨年より20アール増やし、村の田圃と借地99アール計309アールへの作付けとなった。収量は玄米量13,200キロ(220俵)だった。無農薬にして3年目、田圃の一部にホタルが舞うようになった。

○去年はエサ代がトン当たり5,000円も値上がりし、毎日1トンから1トン半使用する村では大きな負担となる。鳥インフルエンザの影は養鶏業界全般に大きくのしかかっている。

○貯蔵のきかない生椎茸は販路を近所の店に求めざるを得ない。配達の手間を考えると、そう遠くに届けることもできないが、今クール便の手配で助かっている。

○主な収入(単位千円)生産5,750万。美術館56万。会費194万。年金628万。家賃288万。東電高圧線線下補償300万。

○主な支出(単位千円)生産5,750万。美術館80万。雑誌239万。個人費1,233万。水道光熱費522万。医療157万。食糧312万。法定福利207万。保険18万。消耗191万。租税215万。

○無農薬にして3年目、田圃の一部にホタルが舞うようになる。

○6月、宮崎県立美術館で日向の村主催「武者小路実篤と新しき村展」開催。

2005年
(平成17年)

○23人。営農収入5,810万円。

○水稲作は昨年より1アール減らし、村の田圃と借地99アール計308アールへの作出付となった。収量は玄米量1万3,200キロ(220俵)であった。今年も同じ時期に同じ場所でお暗示用にホタルが舞った。

○外国では野鳥にまで京極型の鳥インフルエンザウイルスは発見され問題になっていて、ワクチン使用許可が報じられている。抗体を持っているということで無断でワクチン使用の疑いも報道されているが定かではない。そんなこともあり鶏肉や卵の売れ行きも低調のようだ。それに比べ村では最高のエサを使用し高品質で手頃の値段で卵を販売していることもあり評判も良く販売好調なのは心強い。

○椎茸栽培にとって、材料である原木と菌代の購入費がかなり大きな比率を占めている。新品種導入で、冬良質の椎茸を出している。夏場は、トマト、ナス、南瓜、さつま芋等、夏野菜を、茶店で売る他、村の炊事場で使って貰っている。

○主な収入(単位千円)生産5,874万。美術館49万。会費132万。年金628万。家賃288万。東電高圧線線下補償239万。

○主な支出(単位千円)生産5,443万。美術館59万。雑誌209万。個人費1,130万。水道光熱費577万。医療183万。食糧292万。法定福利204万。保険80万。消耗71万。租税209万。

○コメが売り切れず、在庫を抱えてしまい、値下げする。《新しき村》4月号は、〈実篤記念館20周年記念号〉。9月4日、日向の村は台風被害。

○渡邊貫二が死去、享年94。

2006年
(平成18年)

○22人。営農収入5,923万円。

○水稲作は村の田188アールと借地109アール計297アールへの作付けとなった。収穫は玄米量約10,000キロ(167俵)だった。

○エサの値上がりが毎年あり、その割には卵価が上がらず小さな養鶏場は廃業に追い込まれているようです。畜産農家にとっては死活問題。走り仲間の小さな孫が、村の卵ではないと食べないからと、時々買いに来てくれることから解るように味は最高との評判があり、村の卵のファンが増え、売り上げも伸びていることに感謝。

○今栽培野菜に旬がなくなったと言われている。榾木の異動の可能な椎茸栽培も周年栽培が有利で、以下に端堺期を短くするかに苦心している。新品種で対応しているが、一長一短がありまだ研究する余地がある昨年より収入は微増でほっとした。

○主な収入(単位千円)生産6,293万。美術館54万。会費128万。年金715万。家賃271万。東電電圧線線下補償296万。

○主な支出(単位千円)生産3,595万。美術館48万。会報219万。個人費1,128万。水道光熱費439万。医療93万。食糧295万。法定福利117万。保険80万。消耗94万。租税192万。

○5月、新しき村88年記念出版『新しき村詩集』発行。

○9月、さいたま文学館で「武者小路実篤と新しき村 理想の旗のもとに」展を開催。

2007年
(平成19年)

○20人。営農収入5,443万円。

○水稲作は村の田188アールち借地109アール計297アールに作付けをした。収穫量は玄米8,060キロ(134俵)だった。

○鶏のエサが去年からトン当たり2万円以上値上がりしどこの養鶏場でも大変だと思う。毛呂山町で1番大きな養鶏場(10万羽)が廃業と聞いている。鶏舎の除糞、清掃は昔から良く毛呂でトップクラスであるが、これからも若い人たちにも引き継いでもらいたい。

○椎茸栽培は菌栽培が今主流になり、原木栽培が珍しくなった。産地と、原木栽培名入りのレッテルを貼ることを義務づけられ、農協出荷の袋にはレッテルを貼っている。

○主な収入(単位千円)生産5,534万。美術館六十三万。会費104万。年金712万。家賃百六十四万。東電高圧線線下補償298万。

○主な支出(単位千円)生産3,746万。美術館107万。会報218万。個人費1,010万。水道光熱費442万。医療141万。食糧272万。法定福利165万。保険32万。消耗115万。租税228万。

○8月15日、公益財団法人の問題で毛呂山町町長らと会合。

2008年
(平成20年)

○17人。営農収入5,393万円。

○水稲作は村の田188アールと借地67アール計255アールに作付けした。収穫量は玄米10,300㎏(171俵)だった。今年も同じ時期、同じ場所で同じ数ほどのホタルが飛んだ。

○養鶏は赤鶏に変えて以来、高品質のエサを与えて居り味の良い卵と云う評価は定着している。新しき村の特産品一つになって居り近隣の方々だけでなく遠くの方々も買いに来られる。新しき村は新しき村の精神が第一のことだが、生産においても良いものを出し続けたい。

○椎茸栽培は菌床栽培は中心になり、原木栽培が珍しくなった。村は原木栽培でやって来たが温度湿度、空調管理の不完全な設備に苦労して来たが、少しコツを呑み込めて来た。優秀な榾木作りにこれからも勉強していきたい。

○主な収入(単位千円)生産5,672万。美術館三34万。会費100万。家賃264万。東電校高圧線線下補償298万。飼料貴金収入8,225万。

○主な支出(単位千円)生産3,594万。美術館151万。雑誌198万。個人費1,241万。水道光熱費463万。医療157万。食糧216万。法定福利167万。消耗182万。租税197万。

○養鶏は赤鶏に変えて以来、高品質の餌を与えて味の良い卵という評価が定着。

○2月11日、木城町と毛呂山町とが友情都市の盟約をむすぶ。瀬下四郎、高橋ひさ子がそれぞれ町内の特養ホーム、グループホームに入所。

○11月15日、毛呂山町福祉会館で90周年記念祭。

2009年
(平成21年)

○15人。営農収入5,494万円。

○水稲作は村の田188アールと借地76アール計264アールに作付けした。玄米量はおおよそ昨年同様で、平均すると反当たり7俵だろう。皆さまのお蔭で田圃に一切化学肥料や農薬を使うのをやめてからもう8年目になりました。

○今年は乾燥椎茸の在庫が多かった。1年中発生させる不時栽培を続けているが、冬や、夏の発生の難しい時期にどう発生させるかが難しく、秋のシーズン時に出来過ぎたことが乾燥椎茸が多くなった原因。村は原木栽培を続けて来たが、味や質で喜んで頂いている。

○養鶏にとっても村にとっても大きな出来事が起こった年になってしまった。河内光延兄が亡くなった。河内兄は入村して以来育雛(ヒナを育てる仕事)を長年やってきて、育雛を村でやらなくなってからは産卵鶏の仕事をと、村の養鶏をずっと支えてきた。そういう方が亡くなった。無口だが明るい人柄で、信頼できる方だった。養鶏の方では河内兄がなくなって人でも減り。さらに縮小することになった。

○主な収入(単位千円)生産5,638万。美術館26万。会費153万。家賃253万。東電高圧線線下補償298万。飼料貴金収入69万。

○主な支出(単位千円)生産3,130万。美術館支出なし。雑誌209万。(個人費)給与手当3,121万。水道光熱費四百二十八万。医療なし、食糧なし、法定福利なし(いずれも給与にて支払)。消耗76万。租税181万。

○養鶏は人手が減り、さらに縮小。

○7月、初めての本格的消火訓練。

2010年
(平成22年)

○15人。営農収入3,701万円。

○此処2、3年、椎茸の榾化が思わしくない。昨年のなるは暑かったせいか、生長が遅れた。榾化というのは、植菌した菌が原木の中に生長し、腐朽していくことだが、菌糸が原木の中へ早く広がるほど、榾化がじゃ約、椎茸の発生は多くなる。

○水稲作は村の田188アールと借地67アール計255アールに作付けをした。玄米と籾で保管しているので正確な収量は出ないが収穫は昨年同様というところ。毎年6月ホタルの光に癒される。

○養鶏は赤鶏に代えて以来、高品質のエサに支えられて高品質の卵との評判を変えたことが無い。新しき村の産物の特色の一つになって新しき村の生産面も支えて来ていた。しかし河内光延兄が亡くなり、今は生鶏の係が双地になって飼育羽数を減らさざるを得ず残念に思う。

○主な収入(単位千円)生産3,709万。美術館48万。会費101万。家賃249万。東電高圧線線下補償298万。太陽光発電売電263万。貸倉庫収入124万。

○主な支出(単位千円)生産2,465万。美術館885万。会報215万。個人費1,163万。水道光熱費315万。食糧204万。法定福利156万(村友会会計も含む。)。

○6月28日、太陽光パネルの設置工事がはじまる。

○ソーラー発電開始。渡辺ナヲ入院。退院後、水曜は各自で食事することになる。

2011年
(平成23年)

○16人。営農収入4,191万円。

○3月11日、日本大震災。

○椎茸は損とし植菌した原木の仕上がり(榾化)の良し悪しで、出来、不出来がきまってしまう。

 放射能の汚染も心配されたが、生の干しも、検査結果、全く検出されなかった。消費が伸びず、一昨年よりやや上向いたが、もっと収入を今年は伸ばしたい。

○養鶏は3月11日の東日本大震災の後、卵が店頭よりなくなって自家販売している養鶏所に求める人々は殺到するということになり、出来るだけ大勢の方々に行き渡るよう数を制限して買ってもらう状態であったが、秋になると今度は社会や世界の先行き不安から物を買びかえると云う人々の動きとなり、養鶏が始まって以来年丸末でも売れ行きが少なくなるという現象が起きた。

○水稲作は村の田188アールと借地67アール計255アールに作付けをした。作柄も平年並み。量的レベルは低いが、できるだけでいいと思っている。

○主な収入(単位千円)生産3,317万。美術館23万。会費89万。家賃(新村堂、村内会員家賃)383万。東電高圧線線下補償298万。太陽光発電売電864万。倉庫収入124万。

○主な支出(単位千円)生産2,280万。美術館858万。会報212万。個人費(給料)124万。

○村友会収入(個人費、他)(単位千円)2,329万。

○村友会支出(単位千円)水道光熱費106万。食糧253万。医療282万。法定福利費266万。税143万。その他112万。差引村友会積立てへ1,218万。

○9月、村のお茶から基準値を超える放射能が検出され、出荷禁止。

2012年
(平成24年)

○13人。営農収入4,105万円。

○水稲作は村の田188アールと借地67アール計255アールに作付けをした。ホタルの飛ぶ範囲が拡がってきた。売上が例年比で100万円ほど落ちた。やはりあの事故影響か。

○椎茸は東日本大震災と原発事故から1年半過ぎた10月になった、今年植菌した栃木産原木が放射能性物質が規定の50ベクレルを20ベクレル程多いことを県から指摘を受け、東京電力より賠償を受けるにいたった。概ね希望額を頂いた。

○養鶏は村の売店で販売することが中心になった。他に料理店養鶏施設での菓子作りの材料に、自然食品販売の方に卸すなど村の卵の質を求めてくる方々を中心に販売している。村の卵は新鮮でおいしいと喜ばれているので、もっと知られるようにした。

○主な収入(単位千円)生産事業、稲作21万。椎茸42万。養鶏175万。茶2万。太陽光発電100万。その他合計523万。一般事業(新しき村精神啓蒙普及事業)会費寄附その他21万。美術館、生活館運営事業2万。

○主な支出(単位千円)稲作3万。椎茸33万。養鶏118万。茶1万。太陽光発電維持3万。その他合計349万。一般事業(新しき村精神普及並びに新しき村事業の維持管理)140万。美術館、生活館運営事業70万。

○椎茸は栃木産の原木から基準値を超える放射能が検出され、東京電力から賠償を受ける。

2013年
(平成25年)

○13人。営農収入2,458万円。

○水稲作は村の田188アールと借地64アール計252アールに作付けをした。平均反収は5俵半ば。生き物達もほぼ例年通りだが、生き物達もほぼ例年通りだが、ニホンアカガエルが大発生、ホタルの飛翔範囲はさらに拡がった。

○東日本大震災から3年過ぎた。村の仕事から遠いところの出来事だと思っていが、村の椎茸の原木は福島県と群馬県から入荷していた。福島からは放射線が高くて購入できず、栃木から購入した原木は放射線値が合格していたのだが、その後国の数値が厳しくなり使えなくなった。東京電力から補償を希望額に近く受けた。今年度は予定通り使わずに昨年度の榾木でしのいだ。今年度の植菌原木は2,000本減らし、7,000本植菌する。

○養鶏は入間養鶏組合への出荷と村での小売り販売になっている。入間養鶏組合の出荷は仕入れのエサの量の調整、また小売りでのその時々の版版量の調整の2つの意味があって続けている。村の小売りの方は一定の客に限られているが、年末になって今まで来たことのない人が増え多くの贈答用の箱入り卵を求められた。村はその時々で値上げなどしないので、お客さんの話では他より安く、また味がよく喜ばれるとの話が多い。

○主な収入(単位千円)収益事業4,246万。一般公益事業206万。美術館三十四万。

○主な支出(単位千円)収益事業2,913万。一般公益事業維持管理費1,642万。美術館843万。

○バイパスが開通、看板と売店のための土地を購入。

○9月27日、前年5月から年末まで短期滞在をくりかえしていた京大生から、卒論「理想郷の生活者 新しき村に生きる」が届く。

2014年
(平成26年)

○13人。営農収入2,581万円。

○水稲作は村の田170アールと借地13アールに作付けした。在庫の事情により昨年より66アール減反した。自然環境も、例年通り比較的豊かであったと思う。

○2月14日から15日に降った雪は、埼玉では覚えのない大雪になり、村の建造物に大きな被害を被った。椎茸小屋は旧大雛舎改造しており、2棟が半壊、1棟が全壊し、そのうち1棟を、国と県と、坂戸市の補助を受けて、再建できることになった。不幸中の幸いというか、1割負担で、頑丈な椎茸小屋になった。

春だしの品種が良好で、来季は期待できそう。

○養鶏は平成26年度事業計画を立ててから担当者二人の処から担当者1人が離村する事になり事業計画を作り直すことになった。

○主な収入(単位千円)収益事業4,357万。一般公益事業1,196万。美術館39万。

○主な支出(単位千円)収益事業1,342万。一般公益事業管理費1,196万。美術館554万。

○2月、一般財団法人への移行が認可。

○大雪で椎茸小屋2棟が半壊、1棟は全壊。国、県、市の援助を受けて再建。

2015年
(平成27年)

○11人。営農収入1,377万円。

○水稲作は村の田170アールと借地13アール計183アールに作付けをした。村の休耕田は42アールある。ハウスのビニール張りと種播きの手伝いに川辺賢一さん。ホタルが飛ぶ範囲は主に3か所に分かれている。

○雪害で再建した椎茸小屋を、今年は十分活用して来た。ことに、春だし品種は、夏だし品種では難しかった冬、春には発生がよかった。  

東電と行政で、原木と、種菌代の半額補助が3年続き、あと2年援助が続くことになり、助かっている。卵の販売が終わった村の売店の来客が減り、椎茸の売上も影響している。

 

27年度は6,000本に植菌した。

○養鶏は本年、平成27年4月末で終わった。長く村の仕事として大勢の兄姉の働きの中で続けて来たが、大量生産の時代に入って巨大な企業養鶏が中心となり卵価が低迷するようになり、農家養鶏という個々の農家の良き仕事だったことが出来なくなっていた。村の養鶏はそれでも特に良い餌で赤卵を生産するようになって近隣の方々だけではなく県外の方にも配送すると云う方法で販売を続けて来たが、担当の者の高齢と設備の更新が難しいこともあり終える事になった。

○主な収入(単位千円)収益事業3,367万。一般公益事業二百十二万。美術館26万。

○主な支出(単位千円)収益事業1,863万。一般公益事業維持管理費109万。美術館59万。

○養鶏は4月末で終了。

2016年
(平成28年)

○10人。

○水稲作は村の田170アールと借地13アール計183アールに作付けをした。この面積に減らして3年目だ。今年も梅をとり、梅ジュース梅サワーを販売した。

○東日本大震災から6年過ぎた。椎茸作りにも、いろいろ影響を受けたが、使っている原木の放射能を受けたことが昨日のことように思いだされる。今原木も、椎茸も検査を受けているが、殆ど出なくなった。

 原木と種菌代の4割ほどを補助が出るようになり、後、来年も出ることになり、東電も気を遣っているのか、助かっている。今年は7,000本植菌した。

○主な収益事業1,688万円。維持管理事業174万円。美術館22万円。

○主な支出246万円。維持管理事業1,135万円。美術館520万円。

○5月、新理事長に寺島洋が選任される。

2017年
(平成29年)

○6月、新しき村創立100周年記念武者小路実篤詩集『詩の花びら』刊行。

○福島県から入荷している原木が放射能に汚染されていることがわかり驚いたのがきのうのように思い出される。その影響も重なったか、贈答用の椎茸の注文が減った。

 数少ない村の多量の生産に、椎茸は今後も守っていきたい。東電でまだ原木、植菌代の補助が数年続くという。今年も7,000本植菌で、今作業中です。

○水稲作は、村の田170アールと借地13アール計183アールに作付けをした(1町83反)。ホタル含め生態系はまず例年通り。折に触れて、丸橋ユキさん来村。自然を中心に写真撮影され、村のフェイスブックに載せて下さる。仕事を時々手伝って頂いた。

○主な収入(単位千円)稲作283万。椎茸374万。お茶25万。竹19万。鳥フン32万。太陽光発電958万。収益事業1,795万。維持管理事業168万。美術館事業43万。総事業収入3,150万。

○主な支出(単位千円)稲作八十五万。椎茸192万。お茶20万。収益事業400万。維持管理事業1,119万。美術館事業588万。総事業支出3,240万。

○7月12日、猪が出没、タケノコが被害にあう。

2018年
(平成30年)

○8人。

○4月24日~7月15日、街の歴史民族資料館で新しき村創立百周年特別展示が行われた。

○7月3日~8日、神奈川友訪主催「武者小路実篤と仲間たち展」開催。

○8月12日、労働祭前夜祭。

○9月16日、創立百周年記念祭来訪者は百名を超える。

○11月10日、宮崎県木城町にて百周年記念祭開かれる。

○11月14日、調布市たづくりホールにて実篤記念館主催の「新しき村百周年記念映画上映会と新しき村の生活を語る会」開催。

2019年
(平成31年・令和元年)

○8人。

○8月労働祭。

○9月15日創立記念祭。

○10月18日日々新しき村の会主催で、101周年記念コンサートを銀座ヤマハホールで開催(バイオリン演奏:石川静さん)。



(参照した文献等)
 永見七郎編『新しき村五十年』 新しき村
 奥脇賢三『検証「新しき村」』 農山漁村文化協会
 渡辺貫二『新しき村七十年』 新しき村
 前田速夫『「新しき村」の百年』 新潮社

(参照)1ha=10,000㎡、1畝歩
    1町歩=10反  1反=1,000㎡=10畝
    1畝=1俵    1俵=60㎏
※① 村の金銭収支は全て万円未満を切り捨てて表示した。

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